嫁・働きに出る。

生まれてきた子供は、女の子でした。
私がお風呂に入れたりご飯を食べさせる時間があるときは出来る限り一緒に居るように心がけていました。
少しずつ大きくなるにつれて生後3か月目で子供を保育園に預けて、嫁は働きに出かけるということになりました。
信販会社です。
それが地獄の始まりだったのかもしれません。
クレジットカードを作らないといけない。私も2枚ほどサインをしました。

相変わらず、毎日、昼間の嫌な上司の小言を聞きながらテキパキと仕事をこなして17時になるのを待って時間とともに車で保育園にお迎え。
で、帰宅して夕食の準備。
夕食の準備はほとんど私の仕事です。
学生のころからアルバイトで居酒屋をやった経験も小さいころから料理を作っていたことも関係するのかわかりませんが、20分もあれば作れました。
17時に仕事が終わり、18時に保育園から帰宅 19時には食事が終わり、
アルバイトへ出かける毎日でした。

そんな時に、音楽仲間からの、カラオケを作ってくれないかとも依頼が来る仕事もありました。
それがまた面白い。
もともと短大では電子工学科でしたし、前職の測量のデーターは私の作ったプログラムで計算していたので、プログラミングはすごく得意な方でしたよ。

話を戻すと。今のカラオケの方式ではなくてまだネットが普及していないので、レコードが発売される2週間くらい前にクライアントからカセットテープが届きます。
それを歌を入っていないカラオケ状態の音源をMIDIデーターで3.5inchのフロッピーディスクに居れて、郵送していました。作業工程は遅くてもテープを受け取って2日以内に出来上がりを発送です。

当時はエプソンのPC368だったかな?
音楽ソフトはれコンポーザを使っていました。
1曲打ち込みをすることに9000円のギャラでした。
ひと月に10数本やっていました。

昼間の平凡な事務作業の仕事。
夜はコンビニの店員(すぐに店長)
空いた時間に楽曲打ち込みカラオケ作り
これが娘が1歳になるくらいの時の仕事でした。

続く・・。