娘・ブランド?

妻の影響か?それとも義母の影響か?
娘の服がすべてブランド物になる。
5歳になる娘。成長したなぁ?

すぐに大きくなるのに、頭から靴下、靴までブランド品が必要?
1式で10万以上。毎週お出かけするたびに同じ服ではない。
そしてすぐに汚れる。
そしてまた新しい、ブランドのバッグやらアクセサリーが増えている。

 

私は同じジーパンに同じシャツ。おしゃれもやらない。

パソコンも音楽関連の機材もDTM関係も購入していない。

もちろん車なんて、軽自動車。

娘ももうすぐ小学生。
成長が早いだけに、こんな生活でいいのだろうか?

 

続く・・・。

打ち込みすぎる。

前にも書きましたが、とにかく毎日が充実して忙しくなってきました。
1992年くらいかな?

営団地なので、家賃が1万円。
食費もそんなにかからない。
私は昼の仕事で、手取りで約20万。夜のバイトで、8万、

カラオケ製作で月に18万くらいだったかなぁ。

それなのに妻は働きに出かけてる。

もちろん娘は保育園に預けてたので、収入が沢山ある分保育料は最高額7万。
穏やかな暮らしも3年続いたのかなぁ。

やたらに家にブランド物バックや財布やアクセサリーが・・。
そして知らない間に、クレジットカードが10枚に??

妻が信販会社に働いていたのでカードを作らないといけなかったらしいのだが、どう見ても消費者金融のカードまである。
そして数々のブランド品。

毎日子育てに明け暮れると、趣味に走るのか?
毎月の支払いがえぐいことに気が付き始める。
だって、消費者金融からも借りて返済してるぐらいだからね。

私も仕事やバイトで妻と満足に話もできなかったのが原因だったのだろうか?

これはえぐいことになってる・・。

続く・・。

嫁・働きに出る。

生まれてきた子供は、女の子でした。
私がお風呂に入れたりご飯を食べさせる時間があるときは出来る限り一緒に居るように心がけていました。
少しずつ大きくなるにつれて生後3か月目で子供を保育園に預けて、嫁は働きに出かけるということになりました。
信販会社です。
それが地獄の始まりだったのかもしれません。
クレジットカードを作らないといけない。私も2枚ほどサインをしました。

相変わらず、毎日、昼間の嫌な上司の小言を聞きながらテキパキと仕事をこなして17時になるのを待って時間とともに車で保育園にお迎え。
で、帰宅して夕食の準備。
夕食の準備はほとんど私の仕事です。
学生のころからアルバイトで居酒屋をやった経験も小さいころから料理を作っていたことも関係するのかわかりませんが、20分もあれば作れました。
17時に仕事が終わり、18時に保育園から帰宅 19時には食事が終わり、
アルバイトへ出かける毎日でした。

そんな時に、音楽仲間からの、カラオケを作ってくれないかとも依頼が来る仕事もありました。
それがまた面白い。
もともと短大では電子工学科でしたし、前職の測量のデーターは私の作ったプログラムで計算していたので、プログラミングはすごく得意な方でしたよ。

話を戻すと。今のカラオケの方式ではなくてまだネットが普及していないので、レコードが発売される2週間くらい前にクライアントからカセットテープが届きます。
それを歌を入っていないカラオケ状態の音源をMIDIデーターで3.5inchのフロッピーディスクに居れて、郵送していました。作業工程は遅くてもテープを受け取って2日以内に出来上がりを発送です。

当時はエプソンのPC368だったかな?
音楽ソフトはれコンポーザを使っていました。
1曲打ち込みをすることに9000円のギャラでした。
ひと月に10数本やっていました。

昼間の平凡な事務作業の仕事。
夜はコンビニの店員(すぐに店長)
空いた時間に楽曲打ち込みカラオケ作り
これが娘が1歳になるくらいの時の仕事でした。

続く・・。

私が25年間勤めていた仕事を辞めたわけ。

随分昔の話ですが、私のことを知っていただくためにお話を残しますね。

短大を卒業して、とある会社に就職しました。そこは本当に現場仕事で私は測量設計で、測量担当です。21歳の新人でしたが毎日が山の中や海や自然の中で測量をしていました。やがてその測量をもとに、街が出来ていくわけです。
朝は7時から夜は23時まで当時は週1回のお休みで毎日働いていました。もちろん給料は差し引かれて10万円ほどです。
それでも楽しかったですね。
でも、その一方でバンド活動もやっていたのですが、そこで知り合った彼女と数年付き合って結婚することになりました。
結婚するにあたり、この月給ではやっていけないと思い、親類知人を頼って準公務員の仕事に就くことが出来ました。
自動車関係です。事務作業で、9時~17時、土日祝日は休み。
今までの仕事に比べたら、なんて楽な仕事だと。
新しい仕事も慣れてきたころに、晴れて、付き合っていた彼女と結婚をしました。
給料も手取りで今までの倍以上になりました。
住むところも市営住宅で、当時の家賃は1万円弱。
23歳の私には、毎日が幸せだったように思えます。

結婚を期に、プロ活動間近だったバンドを抜けることになります。

バンドをやめるにあたっては彼女は、辞めないでくれと懇願するばかり。
話を聞くとステージに立っている私が好きなんだとか。

結婚を考えた時には私の選択肢の中でプロとしてのバンド活動は無いなと思っていました。

仕事が終わり帰宅に車で約1時間の道のりを帰り、毎日住んでいる部屋を少しずつリフォームをすることが日課になっていきました。

そして念願の子供を授かることが出来ました。
彼女は仕事を辞め出産に備えました。
私は、余った時間をお金に変えようと、仕事が終わり、自宅に戻り夕食を作り19時から深夜1時まで今でいうコンビニでバイトを始めました。
そういう生活が1年くらい続いて、無事に子供も生まれてとても幸せな家庭だったと思います。
毎日仕事終わりにバイト。土日祝日もバイト。
今考えれば子供の顔を見るのは夜に帰ってきたときだけだったなぁと思います。
これが私の懺悔の始まりなのでしょうか?


続く・・・。